日々徒然

創作家具 安藤和夫

大磯にある吉田邸が全焼した!

 敗戦後の時代を象徴する宰相であった吉田茂氏の自邸であるため、当時の時代背景をも含んでこの災害を惜しむ声が高い。

 しかし僕にはその全焼してしまった建築が何より惜しい。

 失われし建築の設計者は吉田五十八氏(偶然の同姓)。

 氏は「近代数奇屋」を確立した人なのである。
 氏の全作品の中で「吉田邸」の評価がどうであるのかは知らないが、吉田邸一帯の整備事業が進み、近年公開されることになっていたので楽しみにしていたのに二度と叶わなくなってしまった。

 古い建築が押しなべて貴重なわけではなく、見る人によって価値基準は様々なのだとは思うが、吉田五十八氏が為そうとした事は、日本という国が明治革命によって開国し、近代国家を構築しようと欲し、現代に至る道程の中で実に意義の深い仕事なのだと思う。

 我々日本人は、古来より持つ自然観・死生観を背景に「茶道」「香道」などを開拓し、その精神文化の一つの高みとして「数奇屋」という概念を生み出したのだが、その日本独自の様式である「数奇屋」と西欧近代を対峙させ融合を試みた先人が吉田五十八氏なのである。

 「数奇屋」と「モダニズム」に内在する共通点を今言うのはたやすいことだが、それを建築というリアルな場で格闘し実現された事はけして安易なことではなかったはずだ。

 遺された建築を見れば(探れば)その痕跡が見つかるかもしれない。
 私はそれを欲した。
 しかし、その機会は永遠に失われた!・・・それが残念でならない。

 「建築」とはその時代の思想哲学を表す鏡なのだ。つまり「建築家」とは本来哲学者であるはずなのである。ルネサンスにおけるレオナルド然り、そして又シュタイナー然り。

 私が今モノ作りとして為そうとしている事柄の大先達でもある氏の作品を見たかった(体験したかった)というのは、その思想をこそ我が物にしたかったことに相違ないのです。

 DHさん によれば、二宮にある「吉田五十八自邸」は今、ある家具会社社長の持ち物なのだそうだ。

 願わくば、見る(体験する)機会を設けていただけたら、と存じます。

吉田五十八(いそや)

コメント

悪魔の館吉田邸を再建してはならない。

全焼した吉田邸を再建してはならない。日本では歴代の首相がこぞって大邸宅や広大な別荘を建てて優雅な人生を楽しんできた。やつらがこんな豪華な生活ができるのは、歴代の首相が何の罪もない国民をだまして虐待し、強奪の限りをつくしてクイモノにして殺害してきたからである。吉田の悪逆非道さに天罰が下ってこのように吉田邸がなくなったのだ。吉田の子供や孫やひ孫までがずるく立ち回って国民を食い殺せるとたかをくくっている。てめえら凶悪犯が食い殺す側に入れてもらったからとデカイ面をしててめえの財産だけを保護してもらえると思っているのだ。吉田邸を再建することは神に対する冒涜である。

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