日々徒然

創作家具 安藤和夫

再びあの時代に戻ります!

 自分史の続編です(書き出してしまったのでね!)。
 内容は若干重めですので容量?にご注意ください(笑)
 譚さん達が卒業したころ、時代は政治の季節に入っていました。
 保守対革新とか、右対左というような単純な対立だけではなく、日本の国体は揺れていました。

 60年安保時代に既成左翼との軋轢から組織された全学連も大きくなり、新左翼とよばれていました。60年代後半、それらは分裂し、やがて先鋭化して行きます。

 又、パレスチナへの連帯を模索する動きやベトナム戦争に協力する日本政府の立場に異を唱えるべ平連も組織され、国内だけでなく世界に今ある矛盾に向き合おうとする活動が非常に活発に起こっていました。

 学内を見ても表向きは女生徒の多い穏やかな校風でしたが、水面下では、共産党系の「民青」を作ろうとしていた某○産○市議の息子の○○、それを排除しようと動いた○○、三里塚の上映会を近所の岡野会館で企画した○○、みんな友人でした。

 学生も社会人も皆、熱くこの国を語っていました(と、僕は感じていたのですが、後年、同時代人にこの時代のことを語ると、個人によってカナリ温度差があることに驚きましたが!笑)。

 政治のシーンだけでなく、芸術や文化、その根本にある生き方の全体性を問う動きも様々に取り組まれていました。
 後に言うところのサブカルチャー、カウンターカルチャーの萌芽期でもあります。

 ドロップアウトして現実から逃避するヒッピーも多くいましたが、その中には新しいコミュニティーの創造を模索する人たちもいました。
 諏訪瀬島や美麻村など、国内にも幾つかのコミューン(あるいはモドキ)が生まれていました。 
 “部族”はその中でも最大のものでした。山尾三省、サカキナナオ、星川淳などもこの流れ、ホビット村のナモさんもそうですね。

 混沌としながらもエキサイティングに躍動する外海を垣間見てしまった僕は、もうバスケットにうつつを抜かしている場合ではありませんでした。

 惜しまれつつ(かな?笑)退部し、今の言葉で言う自分探しの旅が始まったのが高校二年の春、1969年でした。髪の毛は徐々に長くなってゆきます。
 聞いていたのはもうボサノバじゃなかった。
 ジャニス、ディープパープル、ピンクフロイド、そしてブラックサバス、けしてビートルズなんか聴かなかった!


 幾つかの内的外的な要因(必然)で始まったこの旅でしたが、そのひとつに、あの「譚さんのまなざし」があったことも告白しておきます。

 大手企業に勤める中流サラリーマン家庭のひとりっ子に生まれ、横浜郊外の新興住宅地で育った少年Aは、ノーテンキにも【部落】という存在も知らず、【在日】の意味さえ深く考えたことも無かったのでした。

 そのことに対して深く恥じた彼は、自分を責めるように、より過酷な現場、より激しい飯場などを探し出し、渡り歩くようになります。・・・・続く!(おいおい、ほんとか?笑)

コメント

60年代後半から70年代前半は、ほんとに熱い時代でした。

私もbeatlesなんぞ「フン!」ってなもんでした。

関東の場合は、関西と違い「部落」という言葉には、あまりなじみがない感じがします。

ビートルズ駄目っすか(笑)

ビートルズとディープパープル、まとめて聴いてました♪
ユーミンとツェッペリンとモンクとムラヴィンスキー、どれも好きなんですが、
やはり60年代後半から70年代生まれは節操が無いようです(笑)

一年違っただけで感覚は違うかも?

漬物師さん、イベリコYさん、ありがとうございます。

歴史的に見ればビートルズは偉大であるのでしょうね。

でもね、あの時あの時代のど真ん中にいた人には分かると思うけど(一部の人かな?)、ビートルズはメジャーな歌謡曲にしか聞こえなかったし、当時それを好きな奴らって学園生活謳歌系の人だったりして・・・僕にしてみればチャラチャラ歌なんかうたってんじゃね~よ!ってかんじ?(怖)

あ~、暗い過去が蘇える~、笑。

まあ、シニカルな極私的見解ということでご勘弁を!
僕もビートルズ思い出に残る名曲がいくつもありますけどね。

イベリコYさんは多分僕よりだいぶ若いのよね。

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