日々徒然

創作家具 安藤和夫

一升石!・・・ってご存知ですか?

直系10センチくらいで扁平な火山岩。山から川を下り海まで着くあいだにすっかり角がとれています。
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海岸で磨かれたこの石が、再び遠くまで旅をします。
JR東海道線小田原から東京に向かって二つ目に「国府津」があります。

御殿場線の起点でもあるここは相模灘に面した土地でもあります。

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この石を拾った国府津海岸の夕暮れ。   右は高速道路。

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写真をズームすると。・・・遠くに見えるのは手前が真鶴半島。
左端の平たい島は熱海沖にある初島。
遠くは伊豆半島、天城連山・・・右に箱根連山に連なります。


この石が、旅をして着いたところは?・・・京都!
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それも御所のお庭。

京都御所の南東に位置する仙洞御所、苑内、桜の馬場(南池)には、自然を再現して造られた人工の水辺があります。水際を砂ではなく石で敷き詰めています。

そこがあの石の終の棲家となる場処だったのです。

【写真は「京都御所 大宮・仙洞御所」京都新聞出版センター刊より】

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これが水際に並んだ「一升石」!

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一升石の説明。

石一つ米一升と引き換えられたとか。

どんな人たちがこの仕事に携わったのでしょうか?・・・近郷近在の漁師百姓が使役として徴用されたのかと思ったらお米がもらえたと言います。
きっと良い臨時収入になったのかもしれませんね。・・・小田原藩は大変だったかもしれませんが!


そしてその石は真綿でくるまれて京都まで大切に運ばれたのです。

小田原は関東の中心として発展してゆく初期の頃、城下や街を作るのにあたり、多くの京都の諸職の力をいただいているようです。
言葉にもその面影が残るそうで、古より多方面での交流があったのですね。

何年か前、京都の数奇屋の大家、故安井清先生をお呼びして小田原・箱根に残る古建築を見ていただいた折、建具の技術、用材の使い方など、建築の各所に京都の影響を感じるとおっしゃっていました。

国府津海岸にあったこの石の存在も、そんないきさつから京都の作庭家、茶人などに知られ、御所の洲浜の用材として白羽の矢が当たったのかもしれませんね。

昔の人のダイナミックな往来、凄いですね~!

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左方向を見ると湘南から江ノ島方面。

左に見えるのは海岸線に沿って造られた「西湘バイパス」・・・自然を再現するために水辺を造った古人に対して我々の文明は自然を壊して何を得たのだろうか?・・・無粋なモンです。



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