日々徒然

創作家具 安藤和夫

女人高野「室生寺」

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金堂!



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本堂(灌頂堂)!

屋根は薄くへいだ「こけら板・へぎ板」を重ねて葺いた杮葺(こけらぶき)流麗なエッジが見事です。

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振り返ってみた屋根。

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とうとう来ることが出来ました!

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五重塔!・・・・端正な塔。

屋根は檜の皮を重ねて葺いた檜皮葺(ひわだぶき)。丹精ながらも雅味のある品のよさ、格調の高さが際立っています。

前回来た時は冬、小雪が降っていました。

もう二十数年前のことです。

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奥の院への石段!

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見えてきた!・・・・400段の石段もあと少し。

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常燈堂!

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清水寺のような大きな木組!

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古格のある大師堂。

屋根は二段の板葺。

風格のあるたたずまい。

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石組みの上に設置された七重石塔。

ストゥーパ(塔)のありどころを具現化したような存在感!

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奥の院への石段脇にあった五輪塔。

長年月の風雨に耐え、参拝者を見守るように、路傍に在りました。

それはまるで、祈り続ける“ひとがた”のよう。

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おそらく山内にあったものを集めて合祀したのであろう、五輪塔群。

古格のある宝珠の形がなんともありがたい。

遠景は五重塔。・・・いずれもストゥーパ(塔)

室生寺(リンク)


室生寺の仏様は、国宝や重文に指定されているものが数多くあり、その静かな存在感はまさしく祈りのお寺とも言うべき静謐な空気が流れておりました。

国宝:中尊 釈迦如来立像
国宝:十一面観音像
国宝:釈迦如来坐像

ほかに重文多数。

その中でも私が心打たれたのが、「十二神像」重文、です。

大きなお像ではないのですが、ご本尊の前に一列に並んだ十二神将の表情のなんという豊かさ。

お堂の空間の量、仏様などのお像の配置、薄暗がりの中に浮かぶ表情、などなど、感嘆しきりなのでありました。

室生寺の仏様(リンク)

ガラスケースで空調に守られている芸術としての彫刻作品とは明らかに違う“ナニモノカ”がそこには現出しています。

ここに行くしかない、この場でしか成し得ない、己の目で見て心で感得するしかないものがあることを教えていただきました。

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急逝した上沼緋佐子さんの準備していた「泥釉七宝展」を見に大阪へ赴いた私でしたが、その後、上沼さんのゆかりの地である伊勢に廻ろうと思っての今回の旅でした。

準備する間もないままの旅立ちでしたので、大坂から伊勢に行くには新幹線で名古屋に行き、南下すればよいとばかり思っていた私でした。

ところが、大阪から伊勢に直接近鉄が通っている事を知りました。関西は私鉄網が充実してますね。

その路線を地図で追っていたら、昔、家族でオートキャンプをしながら京都→奈良→飛鳥→赤目→伊勢を旅したときのルートと重なることが判りました。二十数年前、ニキがまだ3~4歳の頃でした。

車中泊やユースホステルなどを使っての旅でしたが、車の移動は列車ダイヤなどを気にすることも無いのでとても便利でした。

偶然選んだルートだったのですが、これが実に意味の深い道筋であったことを知りました。

京都→奈良→飛鳥→伊勢・・・このルートは、まさしく日本の国の形を作っていった場所と時間を遡行する旅だったのです。

当初、大阪から伊勢に行くことだけを考えていた私は、途中駅に室生口があることを知り、これは素通りするわけには行かず、下車。・・・駅前で聞いたら、もうすでにバスは無い、歩ける距離ではないと告げられ困惑。駅前で暇していたタクシーに掛け合っての強行軍なのでした。

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上沼緋佐子さんの影を追った旅でしたが、様々な脇道もあり、充実した旅でした。
これも上沼さんのお導きだと勝手に解釈しましょう。

全盛期で逝く!・・・・無念さは残りますが、ある意味作家としては理想なのかもしれませんね。
なぜなら、自分の胆力・気力・発想力・感動力が衰えてゆくことを一番判っているのが作家本人なのです。

それを甘んじて受けながら、徐々に老いて行く!・・・ひーちゃん、あなたには無理。

母としてでもなく、家庭人としてでもなく、作家としてのみ、生き抜いてきたひーちゃんには、それはあまりにも過酷な現実なのだと思うのです。

夜中に電話してきては長話をしました。話はもっぱら七宝のこと、作品のこと、煮詰まっていること、焦っていること、つまり自分のことだけ。私は聞き役。

「アンドウさんで爪を研ぐ!」とよく言っていましたっけ!

彼女の思っていること、思っていないけどモワモワと感じ出していることなどを、私は言語化することが得意でした。

「あ、腑に落ちた!」とよく言われました。

器物の束縛からの開放。
工芸からファインアートへの移行。
絵を描くという意味から脱し、実在としての七宝そのものの充実。
などなど、ずいぶん話しましたね。

安らかにお眠りください。













コメント

写真からも、空気の違いが伝わります。ヨコハマでアクセクしていますと、モノがみえなくなるような恐怖感を持ちます。直接体感する事の大切さをもう一度考えます。例えば今回の室生は、以前に訪れた時の自分の体感を思い出してそれを再現しながら安藤さんの写真を拝見し、理解したつもりになっています。しかし今、過去の体感の貯金が底をついてきたような気がします。いつも新鮮な目で物を見つめたいと思いました。

横浜や東京などの都会はモノに溢れています。そしてそれぞれがこれでもかとばかり「意味」をまとっています。見るこちら側はそれぞれを吟味し出会ってゆくという回路を断たれ、一方的に送る側から垂れ流される情報が、網膜の表面を通過してゆくのをぼんやりと追って行くことしか出来ません。・・・・・非都会に身を置き、意味をまとっていないモノに出会ったとき、人は目を凝らすこと、心を研ぎ澄ますことを覚えました。・・・今回の小さな旅は、そのことを思い出させてくれたようでした。

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