時間を掛ければ良いものが出来上がるとは限らないのがモノ作りの宿命です。
才能があれば一時間で出来ることが他人の倍の二時間掛かる!・・・これは職人の世界では当たり前の出来事。
職人にとって早さも“腕”のうちですから、早い方が良いに決まっています。
僕も他人より早く仕事が出来るから独立した訳ですから、仕事は早いですけど、それは当たり前のこと。
では、出来上がってくる“かたち”はどうかというと?・・・・(あえて“デザイン”ではなく“かたち”と言います)
一時間で綺麗な線を造形できる人もいれば、一日かかっても、一週間かかっても、いや一生かかっても届かないことがあるのが“かたち”なのです。
そしてこれ、正解が無いのがこの“かたち”。・・・厄介ですね〜!
僕にとって一日のうち目覚めの時がこの“かたち”を思考する時間です。
夢うつつのなかで、美しいものを思い出したり、想像したりしてゆきます。
以前何かに出遭った時の感動から始まることも有ります。
葉っぱや貝がら、山や雲や花や根っこなど、自然の造形が心に残っていることも多いです。
今までの人生の中で経験したもの、出遭った事柄からインスパイアーされることも!
だから美しいものをたくさん見たいのです。
初めは曖昧なままのアイデアを夢うつつの中で徐々に具体的なかたちにしてゆく訓練をもう随分昔からやってきました。今はうつつを持続しつつ、それを観察する自分を外に置くことがある程度できるようになってきました。
感動を持続している自分と、それをクールに外から見ながら分析し批評する自分、この二人が緊張感を持ちながら存在しないとモノにはなりません。これが今の僕を形成しています。
「これだ!」と思ったアイデアが実際にかたちとして残るものはどれくらいあるのだろう?・・・多分百分の一もないかもしれません。
この時間を経てほとんどのアイデアはこぼれ落ちていってしまいます。わずかに残ったもの、これが事の本質かもしれないと思えるものが少し残ります、骨のかけらみたいなものです。
そこにもう一人登場、時のまなざしを持つ人が、そのわずかに残ったモノを精査します。
「時に晒す係り」と言っても良いのかな、今が終わった後、将来、未来、僕の死んだ後、その“かたち”がどうなるのか?
時代の波に消えるのか?力を持つのか?意味を成すのか?無残にも捨て去られるのか?・・・それを見届ける係りがこの人格です。
出来うるのならば僕は「時を超えたい」と思っています。僕の作るものが未来の人たちに届いてくれたらと思うのです。
想像上の思考なのですが、今と言う時代の感性を宿しつつ、時間軸を超えて生き残ってゆく“かたち”があるのではないか?もしそれを造形する役割を自分が担うことが出来たのなら、もう何も思い残すことはない!・・・・ちょっと大げさでございます。
今日はそんな余寒の夜でした。・・・寒い夜はモルトのお湯割で!(反則御免)
この椅子、果たしてこの僕の思いを具現化できるのか、否か!