ーーー以下本文を転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2012年5月10日
茅ケ崎市下町屋在住の若山眞理子さん(60)が自宅のグランドピアノを東日本大震災の被災地に寄付する。全盲で知的障害のある息子、超(たかし)さん(29)が演奏していたころの思い出が詰まったピアノ。NPO法人国境なき楽団を通じ、宮城県石巻市内に届けられる予定だ。
3歳違いの姉の影響もあり、超さんは6歳からピアノを始めた。まひで左手の音が弱かったが、耳がよく、5音の和音も聞き分けた。
演奏は自己流。耳から曲を覚え、家にいる時はほぼピアノを弾いていたという。音楽好きの一家にはクラシックやポップス、演歌などジャンルを超えた音楽が流れ、超さんは小学2年生から大磯町のジャズ喫茶に通った。
超さんが高校2年生の時、母子で世界一周の船旅に出た。超さんは人前でいきいきと楽しそうに演奏し、世界各国で拍手を受けた。言葉は通じなくても、表情や音で人を優しい気持ちにできる―。日本では「ごめんなさい」「すみません」と繰り返し、頭を下げることが多かった眞理子さんが、音楽の力を知った瞬間だった。その後、超さんは依頼を受けて人前で演奏を披露するようになる。
だが、超さんは22歳からてんかんを発症。けいれん発作を起こし、体調を崩し始めた。25歳で人前で演奏したのを最後に、次第に家でも弾かなくなった。ピアノも5年前から部屋の隅にしまっていた。
超さんは薬の影響でベッドに横たわる時間が長くなり、外出の機会も減った。「今が一番居心地がいいのかもしれない。好きな時間に起きて、好きな時にコーヒーを飲みに外出して。彼が(自分の)自己決定を尊重しろと言っているような気がするんです」
ピアノを見ると気持ちが揺れる。「親だから、もう一度って思ってしまう」。愛着あるピアノを手放すことは「リセット」だという眞理子さん。「直接的ではないが、そこに楽器があることで(被災者の気持ちに)寄り添えたら」。現在は同楽団が石巻市内で調整を進めているという。ーーー以上、転載終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここからが私の本文。(ちょっと長いですが!)
2003年4月26日、私は横浜で仲間達と共に自衛隊のイラク派兵に反対してピース・ウォークを組織しました。「ピース・ウォークin神奈川」と名乗りました。(その後「神奈川平和工房」として私が管理人を勤めました。)
その流れを発展させて、8月24日には「ピース・ウォーク&コンサート」を横浜市開港記念会館で行ないました。
出演していただいたのは・・・寿/ジョゼ・ピニェイロ/ナターシャ・グジー/ウリパラム/ラヒンカユマンギ/元次朗/福永幸平etc、今見ても、そうそうたるメンバーですね。
そのコンサートの開始冒頭、舞台からピアノに合わせた歌声が聞えてきました。スティービーワンダーの「アイ・ジャスト・コール・トゥ・セイ・アイラブユー」
始め、CDを流しているのかと思っていましたが、ちょっと違う?・・・歌詞が微妙に曖昧?・・・凄く上手い、でも・・・微妙?・・・
舞台上では、一人の青年がピアノの弾き語りをしていました、暗譜で。
実は、その彼は全盲で、耳だけで憶えたピアノを弾き、聞いただけで英語の歌を歌っていたのでした。英語の細部が曖昧だったのはそのせいでした。音感とフィーリングはバッチリ!
気が付いた聴衆は、徐々に彼の弾き語りに吸い込まれてゆきました。
素晴らしい演奏なのでした。
終わったときには万雷の拍手。・・・
・・・その彼が若山超君でした。
私は今日の神奈川新聞紙上で彼の“その後”を知りました。
今はもう超君はピアノを弾かなくなってしまったのですね、でも、それさえも受け入れて、いつも彼のかたわらに居て、彼にとって一番居心地の良いことに寄り添うお母さんに感動します。
超君が私たちみんなに、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたことを記録したくて、ブログに書かせていただきました。
あれから9年、日本は何も良くなっていないのではないか?
私たちはいったい何処へ向おうとしているのだろうか?・・・改めて考えてしまったのでした。
超君とご家族の日々が平穏であることをお祈り申し上げます。